てさきのきようなはは。

母は、
5人の子供達を育てた肝っ玉おかん。

いつも明るく、
まあまあ天然で、
手先が器用な人です。

長女のわたし。
家庭科の授業が始まった小学校高学年。

わたしは、
不器用すぎて雑巾もろくに縫えませんでした。


母は、
刺繍やら、
タペストリーやら、
お裁縫の得意な人で、、、。


わたしは本心、
こんな技術わたしにはいらないとおもっておりました。
きっと、
得意ではなかったからでしょうね。。。。。。。。。。。



母は今でも、
作品を作っているようです。
そしてくばっているようです。

それも、
守破離の離の境地で。


数年前、
母の姿勢から学んで、
わたしも、
振袖を洋ドレスに仕立ててみました。

、、、、、

やってできないことはない。

人生一度きり。。。。

でも、
おとんとおかんの披露宴で着た、
おかんの振袖、、、、。


ほどいたものの案が
わかず、、、。

精進精進。

時は
ときはかねなり、、、、。